代々木上原の幸福書房

180215
 代々木上原駅前の「幸福書房」は岩楯幸雄さんが家族経営で営む街の小さな本屋さんだ。
 地元の人には親しみをこめて「幸福さん」と呼ばれている。
 本が好きな僕は10年前にこの街へ越してきたときに自分の街に馴染みの本屋があることがうれしくて、以来仕事帰りや散歩のついでによく立ち寄っている。小さな店舗でもキラリと光る品揃の書棚が素晴らしいのだ。その書棚はただマーケティングを意識して並べただけのものとはぜんぜん違って、限りあるスペースのなかで地元のお客様が好みそうな本・紹介したい本を岩楯さんが一冊づつ仕入れてきて並べた意志を持った棚と言っていい。
 おかしな話だ。本なんてどこで買っても一緒のはず。だけど同じ買うなら信頼できる人から買いたいという心理がある。対価を払って物を買う行為のなかに、商品以外にプラス何かを得ているのだろうか。

 「このあいだ買ったあの本は面白かったね。」「毎度ありがとうございます。」常連さんと店長の間でそんな何気ない立ち話が聞こえてくる。そうか、これなんだ。この感じがいいんだ。心がほころんだ。

 代々木上原駅を利用するサラリーマンや学生ならば恐らく皆見かけたことがあるでしょう。
 朝には岩楯さんが本を並べていそいそと開店準備をする姿、帰宅時間の頃には明るい店内でひょうひょうと店番する姿、急な雨風のとき店先に平積みされた雑誌を守るためにビニールのカーテンの支度をする姿を、夜11時に本をかたして店のシャッターを下ろしてほっと一息つく姿を。そしてこのルーティーンは春夏秋冬来る日も来る日も繰り返された。

 2018年2月20日で「幸福さん」は40年の歴史に幕を下ろす。
一年365日のうちで休むのは元旦だけ(今年は元旦も店を開けた)営業時間は8:00~23:00。
この営業時間一つにしても大変なご苦労ではないか。息抜きする時間なんてあるのだろうか。40年間での通算営業時間はざっと計算するとおおよそ220000時間だった。

 今、「幸福さん」はすごい人気だ。名残惜しむ常連さんはもちろんのこと、昔この街に住んでいたお客さんも遠方からわざわざ来店して閉店前に最後のエールを贈ろうと駆けつけてるからだ。

 「営業時間が長いのは体に大変じゃないでしょうか?」
労う気持ちをこめて僕はそう声掛けしてみた。すると、岩楯さんはいつもの笑顔でこう言った。
「好きな仕事をしているのが一番ですから。」