Bill Cunningham New York (再録)

160626
 トレードマークの青い上っ張りを着て、愛用の自転車にまたがり、ニューヨークという巨大な深海を魚のように機敏に動き回る男がいる。
 ニューヨークタイムズ誌のファッションフォトグラファー、ビル・カニンガム氏。現在84歳だ。
 ストリートスナップの草分けとして知られる氏は50年以上もニューヨークの街でおしゃれな人を撮り続け、「最高のファッションショーはいつもストリートにある」を信条に、今でも毎日街に出るという。
 いまさら高齢の写真家なんてそれ程珍しくも無いと言われるかもしれない。でも彼の身のこなし、人との接し方、仕事への情熱を知るにつれ、これはただの老人じゃないぞとすぐにわかってくる。現在上映中のドキュメンタリー映画「Bill Cunningham New York 」は必見だ。
 ご老体、とても80歳を超えているように見えないが、巷で話題のアンチエイジングを実践しているわけでも、秘密の健康薬を服用しているわけでもない。ただ心から自分の仕事(仕事ではなく喜びだそうだ)を楽しんでいるだけなのだ。
 それどころか驚くことなかれ、食事はデリのサンドイッチやハンバーガーが最高で、コーヒーは安いほうが旨いと言う。ニューヨークファッション界の生き字引とまで言われる彼だが、自分の服はシンプルなものを一そろい持っているだけで雨合羽は破れた箇所を補修しながら大事に着ている。
 長年住んでいるニューヨークのアパート(トイレとシャワーは共同、洗濯も近所のランドリーで済ませる)が面白い。
 小さな部屋はネガが入ったスチールキャビネットで埋め尽くされており、その隙間に簡易ベッドを置いている。キャビネットの取っ手にハンガーを掛けてお茶目にこう言う「ここがクローゼットだよ」と。まるで苦学生のような生活だが、そのライフスタイルには貧乏くささが微塵も感じられない。いや、むしろ、どこを見ても金、金、金(かね、かね、かね)の今の世の中で、自由という金では決して手に入らないものを守り、すすんで無駄を省いている姿勢がうかがえる。
 というか、これが普通の生活だよと言われそうだ。まるで少年のような笑顔を浮かべて。

 いつもニコニコのビルだが仕事には当然ストイックなまでの信条があり、侍のような誇り高い志をもっている。まあ、あとは実際に映画を見てからのお楽しみという事で…。

 思えば僕も多感な少年時代、将来は金持ちにならなくても偉くならなくてもいい、ただ自分の好きな仕事を自由にやって生きてみたいと思っていた。
 あれから数年の時が流れて、そのような生き方が実際にはとても困難であることもわかってきた。
でも、ビル・カニンガム氏の笑顔に接すると、わずかに希望も湧いてくる。

 ビル・カニンガム。自転車で走り去る彼の背中に誇り高いニューヨーカーの姿を見た。