戦争のはらわた

171011
 子どもが物心ついたあたりで親から初めて教わるルールといったら「暴力はいけません」ということだろう。
十分わかっているつもりだ。しかし、では戦争はどう説明すればいいのだろう、何かを守るためなら相手を殺してもいいのだろうか。成長するに従って自問するようになっていった。
 有名な「2001年宇宙の旅」の冒頭でも猿人が自らの暴力で意思表示したことをきっかけに(ここでツァラトゥストラが流れる)、人類のテクノロジーが発展していったことを暗示させている。はたし暴力は人間にとって本質的なものなのだろうか?
 話がおわらなくなるので前置きはこの辺にしたい。
 サム・ペキンパー監督の「戦争のはらわた」(デジタルリマスター)を観に新宿シネマカリテへ出かけた。
この作品は第二次世界大戦での独ソ―東部戦線が舞台になっている。しかもドイツがかなり劣勢でそろそろ降参しようかという状況だ。
 ドイツ軍のスタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)は鉄十字勲章を持つ戦闘のエキスパートだが上層部に迎合せず、常に小隊の部下とともに戦争の最前線にいる。そこへ貴族出身でろくに実戦経験もないシュトランスキー大尉が上司として赴任してくる。彼はこんなことを言う「おれは鉄十字勲章が名誉のためにどうしても欲しいんだ。どうにか手柄をこっちに譲ってくれないか?」するとスタイナーは「おまえのようなやつは絶対に鉄十字勲章に値しないね」と一蹴して互いに対立を深めてゆく。腹に据えかねた貴族出は本部からの撤退命令をスタイナーにわざと報告せず、あろうことか彼の小隊だけを広大な戦場に置き去りにして逃げ帰るのだ。シュトランスキー、なんて卑劣なやつなんだ!。しかしスタイナーは百戦錬磨のサバイバル技術で地獄の戦場から帰還する。そのとき、境界線の向こう側では同じドイツ軍が迎え入れてくれるはずだったのだが…。絶頂に達した緊迫感がスタイナーのマシンガン連射で快感に変わる瞬間だ。
 息を呑むような殺しの場面で、かつて命を救ってやれなかったロシア少年兵の残影や小隊の仲間たちと歌った思い出がモンタージュされる。戦争という極限状態での幻だろうか、スタイナーという男の悲しみが映し出されている。