二郎は鮨の夢を見る

160702
 これははっきり覚えている。生まれて初めて知った職業は「鮨屋」だ。
 母方の家が鮨屋を営んでいたためで、とても身近な商売だった。思うに、子供が初めて知った職業が何であるのかは、その後の人生に何らかの影響があるのではないか。
 僕の場合は何かにつけ考え方や物事に取り組む姿勢に否応なく鮨屋性なるものが帯びていることに最近気がついた。あるいは、そんな大層なものじゃないかもしれないが、ものづくりにひたすら取り組む人生を生きたいという思いがある。
 もしも仮に幼い頃身近にあった職業がお笑い芸人だったり商社マンだったりしたら、もっと違う考え方をしていたでしょう。

 youtubeで「次郎は鮨の夢を見る」を観た。有名鮨店「すきやばし次郎」の小野二郎さんを追いかけたドキュメンタリーだ。
 これを見ると、欧米人が一番畏れている日本人というのは実は二郎氏のような小柄で老体でも眼光鋭い侍然とした日本人なのだとよくわかる。米国人監督がメガホンを取っているということが功を奏して、皮肉にも日本人の素晴らしさが逆輸入されてしまった。
 僕は、鮨屋がお客さんの前でうまい鮨を握るには、その仕込み段階で全てが決まるということを子どもながらにも知っていたから、次郎の職人スタッフたちがそれぞれのパートに分かれて、海苔を丁寧にあぶったりシャリを炊いたりマグロの熟成具合をチェックしたりしている姿はまるで協奏曲を聴いているようで惚れ惚れした。さながらコンサートマスターの二郎氏はシンプルな鮨を目指すというが、シンプルという言葉も90歳近い名人が発すると、何だかどこまで行っても辿りつけない境地のようだ。

 この映画を観て、ちょっと前に誰だかが「何年もすしの修行をするなんて馬鹿だ、スクールで少し教わればすぐ独立できる」というような趣旨のことを発言して話題になったことを思い出した。
 なるほど、そういった発言が出てくることも僕には想定内でした。これはまあ考え方の違いで、今や世界中で気軽に楽しまれる日本由来の料理「sushi」は様々なスタイルを生み出したので、センスのいい料理人が数年学んだだけで始めた店が意外と流行って面白いかもしれない。しかし、江戸前鮨の本寸法は特殊技術であり、どうしても長い時間をかけて体で覚えていかなくてはならないことは明白。これを名人の元で何十年かかっても教わろうとする若者を僕は尊敬したいのだ。

 「すきやばし次郎」は東京・有楽町のなんでもない雑居ビルの地下に店を構えていえる。料理はおまかせの握りのみで料金は3万円~。つまみは出ないし無駄な世間話もしないから、握った鮨をひたすら食べるだけ。食べ終えるのに早い人なら20分とかからないだろう。20分で3万円のレストランとは何ということか。それでも世界中からひっきりなしにお客が殺到するのは(マスコミの宣伝力もさることながら)、これだけの品質の鮨を3万円で堪能できるのなら喜んで出そうという人々が確実にいるからだろう。僕も映画を観て、3万円という金額が特段高いとも思えなくなってきた。いっちょ次郎貯金でもしてみようかなという気になっている。しかし問題は高齢の二郎さんが僕の前で握ってくれるかどうかである。


追記
先ごろ某地下鉄の車内でぴんと背筋をのばして立つ二郎氏を御見かけした。色艶のよいお顔と頑強な足腰からは生気が漲り、健康状態がよいことが伺えた。
ファンなので声を掛けようと思ったが、見ず知らずの青二才に話しかけられることを嫌うのではと察してそのままにした。