お盆

160816
 東京都心がまるで昔にタイプスリップしたかのように静まり返り、ところどころで蝉が最後の力を振り絞って鳴いている。近所の食事処に入ると、老夫婦と久しく会ってない息子夫婦がビールを酌み交わし、かたわらでは日焼けした孫たちがはしゃいでいる。「お食事中は静かにしなきゃダメよ」などとおばあちゃんに窘められている風景も思いがけずお盆らしい。
 週末の夕暮れ時、仲間と森戸海岸の盆踊り大会に出かけた。久しぶりの海の気分を味わい、踊りに飽きると喧騒を抜けだして、一人砂浜に腰かけて缶ビールを飲んだ。天然の音や色彩や香りに身をゆだねると、楽しかった少年時代や、会わなくなった友のことを考えたり、去っていった人のことが頭に浮かんでくる。やはりお盆だ。

 テレビの向こうの方々では永六輔さん、大橋巨泉さん、そして元千代の富士の九重親方が亡くなられた。
 僕が子どもの頃にお茶の間の顔だった人たちだ。とりわけ黒い「まわし」姿が美しい千代の富士が印象に残っている。いかに屈強な横綱も自然の摂理には抗えず、遥か彼方へ消えていった。確か先日夕刻の番組でマツコ・デラックスさんが、当時千代の富士に引導を渡した貴花田が憎たらしかったと発言していたが、僕もそれと同じクチで若貴ブームにも乗りきれず、その後の相撲も見なくなった。人それぞれ世代ごとに子どもころ夢中になった力士というものは決定的で、これから後にいくら強い力士が誕生しても記憶の中のナンバーワンは頑固に揺るぎないもの。これは往年の長嶋ファンに対していくら実力では王、落合、イチローの方が上だと説得したところで無意味なのと同じ理屈。
 そうゆうものだ。