インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

171014
 芸術の道を志す者のなかにはほんの一握りの成功者とそれを裾野で支えているかのように日の目を見なかった者たちがいるのはこの世の常。だが、当人はみな必死にやっているので、本気で目指す以上、才能がなくて成功しないことはやはり惨めでつらい。
 1961年、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジが舞台。まだ音楽産業の黎明期、フォークシンガーとしての成功を夢見るもやることなすこと何をやってもうまくいかない男の一週間ほどの日常譚。成り行きで猫を預かるはめになったところからこの物語が動き出し、猫に振り回されるように物語が進んで行く。文無し、宿無しで服も買えない。仕方がないから友達の家を泊まり歩く生活を続けるルーウィン・デービス(オスカー・アイザック)。そんな暮らしを続けていると同業者の女友達ジーンから妊娠を告げられ、中絶費用を要求される。ジーン役のキャリー・マリガンの口から「asshole!」「shit! 」「fuck you!」などの罵声で罵られるも、言い返すことも出来ないルーウィンは気の毒だ。
 音楽プロデューサーに売り込んでみるも「きみには金の匂いがしない」とあしらわれ、家族からも見放され、職もなく、完全に行き詰まったかに思えたところに、再びグリニッジ・ビレッジのライブハウスに立てるチャンスが到来。実はジーンがライブハウスのオーナーと裏で通じていてルーウィンのステージをお膳立てしてくれたのだ。彼女はギリシャ神話に登場する不貞の女神のように世界を翻弄する女のメタファーだろう。
 ライブ当日、亡き友との思い出の曲を熱唱するルーウィンの後には、実はこの日出演するもう一人の若いシンガーがスタンバイしている。
 薄暗いステージ上に黒いシルエットが見える。その若者の歌声は独特だが神々しい。
面白いことに、映画鑑賞する側(僕)はこの男が誰なのか一瞬で判るのに、映画の登場人物たちは彼が何者なのかまだわからないのだ。フォークソング時代の夜明けがすぐそこまで来ていることをワンシーンで表している。
 このあとルーウィンは前日のライブハウスでの粗相が原因でボコボコに殴られる。
 なんという皮肉とウイット。
 最後まで何一つ得ることができなかったルーウィン。でも彼は人間であり男のメタファーだ。世界は循環し、次こそはと新たに第一章を歩み始めるように見えたところで映画が終わる。