Haruki Murakamiとノーベル賞

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 毎年この時期が来るとイギリスの賭け屋によって、村上春樹さんが文学賞受賞の最有力であることが発表され、マスコミがその期待を煽り、村上ファンが中心となったカウントダウンイベントまでが報道されたりする。
 業界が村上春樹さんに期待したい気持ちも、ファン同士がともに喜びたい気持ちも分からないわけではないが、村上氏ご本人の意向を確認したわけでもないのに、ちょっと先走りすぎだという気がしないでもない。

 とかく日本人は作品そのものの価値を海外の権威に伺いがちと言われているが、そもそも文学は読者がごく個人的に愛好する作品をどれだけ深く(おもしろく)読めるのかが大切なはずでは。

 同じ賞でも、無名作家がデビューするきっかけとなるような新人賞や、長年の功績を労うような賞には十分な意義があるけど、(こと文学賞に関しては)行き過ぎたノーベル賞信仰はなんとも成熟しきれないものに映ると言ったら言い過ぎか?。

 「日々小説を一生懸命書いて発表し、一人ひとりの読者と物語を通して繋がれることが自分にとっての誇りだ」何かのエッセイで村上さんがそう記していた。

 もちろんノーベル賞の受賞が決まれば、そんな快挙は喜ばしいには違いない。しかしそれはさておき、長編小説執筆の準備期間であると思しき村上氏にとって、集中したいときに無闇矢鱈と騒がれることは、ご本人は無論のこと、読者にとっても迷惑なことだと思う。

 村上春樹さんの最新作を静かに待ち望むひとりの読者として思った。


 追伸:今年の文学賞はボブ・ディランに決まりましたね。当初は受賞の連絡を受けても、「寝てる」という理由で電話にでることを拒否したりしてましたが、どうやらこれを受け入れるみたいですね。後日の報道で、受賞はすれど授賞式には先約があるから出られないと声明を出したとか。これは僕のごく個人的な予測だけど、ボブ・ディラン氏からしてみれば「えっノーベル賞、迷惑なんだよなそうゆうの。でも拒否したりしたらカドが立つし、面倒だから貰っとくか。」というくらいのスタンスなのではないでしょうか。あくまでも予測です。