スリー・ビルボード

180222
 アメリカ映画にはいわゆる「ホワイト・トラッシュもの」というジャンルがあるようだ。ニューヨークやロスのように世界に開かれた大都会とは別次元の村社会が合衆国の中にはあって、南部や中西部ののどかな田舎街が舞台だったりして、美しい風景とは逆に、良くも悪くも独特のしきたりに支配されていたりする。
 映画「スリー・ビルボード」はアメリカのミズーリ州エビングという架空の街が舞台。ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)という肝っ玉母さんが主人公だ。半年前に彼女は何者かに娘を酷い仕打ちで殺害された。その悲しみや憎しみは決して癒えることはない。いつまでたっても解決しない事件に街の警察が無力であることに憤り、田舎道沿いの3つの巨大な広告看板を1年契約で買い取ってある作戦に出る。すなわち看板に
 RAPED WHILE DYING(娘はレイプされて殺された)
 AND STILL NO ARRESTS?(なにの犯人はまだ捕まってないの?)
 HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?(何やってるのウィロビー警察署長?)
このようにデカデカと掲げて地元の警察署長を名指しで攻撃して注目を換気しようとしたのだ。
 ところが、突然出現した巨大看板に街中はうろたえる。痛ましい事件で娘を失ったミルドレッドに対しては内心同情をよせていた人々もこの奇妙な広告看板に嫌悪感を禁じえないのだ。
 実は仕事熱心で家族を大事にするウィロビー署長(ウディ・ハレルソン )は人望のある街の有力者であり実際に非難されるような悪人ではなのだ。やがて村社会に不穏な空気が立ち込め、その矛先はミルドレットに向けられてゆく。
 署長の狂信的信者の悪徳警官ディクソン(サム・ロックウェル )はミルドレッドと看板の広告業者に対して強い敵対心をむき出しにして、すぐに暴力的復讐に走り出す。一見救いようのないほど単細胞な田舎者だが、実は心の奥にはピュアな部分を持っていて、あるきっかけから警察官の職業意識に目覚める。徐々に人間的に成熟するにしたがって、救いようのない物語のなかで、どうにか救いようのある人物になって映画をしめくくる。

 僕はミルドレッドのやり方は最近日本でもよくあるメディアを使った攻撃(暴力)を連想した。人間には様々な事情があり、愛と憎しみを秘めたものだが、そのエネルギーを正義感で誇示する人というのは危険なものだ。それは社会の空気を変化させ後戻りできないゾーンに行ってしまう。
 看板にも人間にもアメリカにも表の顔と裏の顔があるようにこの映画も複雑な構造をもっているとことが特徴で、3人の登場人物たちの気持ちの糸が編み重なって、意外ともえいる図柄が見えてくる。