レディ・プレイヤー1

180528
 任天堂のファミリーコンピューターが我が家にやってきたのは僕が小学校2年生のときだった。ソフトは初期の「テニス」や「ゴルフ」など非常にシンプルなものから始まり、「ゼビウス」「マリオ」にも夢中になった。そういえば誕生日のプレゼントには「スパルタンX」を買ってもらった(おもしろかった)。ちょうど同時期に映画では「E.T.」とか「グーニーズ」が流行っていて、子どもたちだけでなく大人まで夢を膨らませていた。

 新宿バルト9でスピルバーグ監督作品「レディプレイヤー1」を見る。

 バンヘイレンのテーマ曲「JUMP」が流れて未来のスラム街のスタックスと呼ばれる集合住宅から主人公のウェイドが登場するオープニングシーンでは不思議な懐かしさのようなものがこみ上げてきた。この感じは一体何?…。スピルバーグの描くビジュアルというのはいつの時代にも何か新鮮な気分があるからだろう。
 2045年、人類の多くが現実世界をあきらめて「オアシス」と呼ばれるオンラインVR(ヴァーチャルリアリティ)ゲームの世界に精神的に依存してゆく。バーチャルの世界では自分で好きな容姿のキャラクターになってリアルと殆ど同じ状況感覚で面白い体験がいろいろできる。こんな楽しいことはないだろう。しかし、「オアシス」を創造した神のような男・ハリデー(マーク・ライランス)がその莫大な遺産と会社の経営権をゲームの中に隠したという遺言を残して帰らぬ人となった。これを発見すれば億万長者どころか世界を支配できるとあってリアルな世の中がオンラインゲームに次第に侵食されてゆく。
 一見突飛な話のようだけど、この映画を見て近い将来に世界中の多くの人が日常的にゴーグルを装着してVRとリアルを行き来する時代が必ずくるだろうと思った。

 このハリデーという人は世界一の長者で成功者でありながら、無頓着な風貌がどことなくスピルバーグ本人あるいはスティーブジョブズを彷彿とさせる。
 夢を実現させたのに夢に敗れたような、なんともやるせない感じでマーク・ライランスは表情一つで成功者の儚さを見事に演じている。ハリデーが、80年代のおもちゃがいっぱいの子ども部屋でウェイドと向き合うシーンが何故かこの映画で一番気に入っている。