インターステラー

171102 
 CGを使わず、フィルム撮影にこだわったというSF映画「インターステラー」がおもしろいという評判なので、木場の109シネマズへ出かけた。
 異常気象や環境被害に伴い植物がほぼ絶滅し、厳しい食糧難に晒された近未来の地球。人類が滅亡へのカウントダウンを刻むというSFものにお決まりの始まり方だが、本作は地球を救うことはもう諦めて、ワームホールを通過して別の銀河系で地球人が住める惑星を探して移住を目指すというコンセプトがなかなか潔くて好きだ。NASAが秘密裏に進行しているというプロジェクト-ラザロ計画の宇宙船飛行士に抜擢されたクーパー(マシュー・マコノヒー)は残された家族に「必ず帰ってくる」と約束し宇宙へと惑星探索に旅立ったが、戻れる可能性はゼロに近い。クーパーが最初に降り立った惑星では激しい重力のため、ここで一時間過ごせば地球では二十七年間経過したことになるという。したがって、惑星での任務を早くすませなければ、地球で離れ離れに生きている幼い子どもたちが急速に成長し、どんどん大人になって老けてゆくことになる。それなのに、宇宙にいる父親は何十年経過しても若い容貌のままだというから大変だ。こうゆう重力と時間の理論はどうしてそうなるのか僕にはまったくわからないけど、子どもが親よりも老けてゆくという絶望的な気持ちは痛いほどわかった。
 父親のクーパーがずっとマシューマコノヒー一人が演じているのに対して、娘のマーフィーは幼少、成人、老年の3期をマッケンジー・フォイ、ジェシカ・チャステイン、エレン・バースティンの3人が演じていて、いずれも本当に素晴らい(とくに幼少期のマーフィはかわいい)。話の終盤、スペースコロニーの病院のベッドで、年老いて危篤状態のマーフィーが大勢の子どもや孫たちに看取られる中、若々しい父親のクーパーが登場して再会を果たすシーンは抑えた感じの演出が効いていてとてもいい。人生の終わりを迎えようとしながらも、喜びにつつまれ「子どもの死に親が立ち会ってはダメよ」と優しく父を諭す娘と、再び宇宙へと旅立つ父親の姿は別次元で時間を共有できる素晴らしい関係を見せてくれた。カート・ヴォネガットの言葉を借りるなら、たとえ愛する人の死が目の前にあってもそれは今この時点において死んでいるだけの話であって、それ以外の多くの時間においては二人は繋がっていたというわけだ。