ノクターナル・アニマルズ

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 思春期・青年期を過ごして中年期に差し掛かると、特に女性なんかは何かを失ってきた喪失感が心の中を占領することがあるようだ。
いわゆる「もし、あのとき…」というやつだ。
 トム・フォード監督の新作「ノクターナル・アニマルズ」は、この監督が得意とする強烈なビジュアルで突き刺さるような痛みをともなって、在りし日の回想と現在の悔恨を小説世界がループする作品だ。いや、その映画を見ている側も含めて4つの入れ子構造が反響するすごい作品といってもいい。
 現代美術のギャラリー経営をするスーザン(エイミー・アダムス)はハンサムな夫と豪邸暮らしで何不自由なく見える。ところが夫の不貞をわかっていながら見過ごしているような偽りの生活や、かつての夢への情熱を失ったことに疲れ果てている。そなんある日、20年前に別れた元夫トニー(ジェイク・ギレンホール)から一冊の小説が届く。同封の手紙には「かつての結婚生活から着想を得た。昔とはずいぶん違うタッチだけどついに小説家デビューがかなったよ。」といった内容が記されている。なんだかドキドキしてその小説を読み始めるスーザン。ここから映画内小説の場面に突入するが、描かれているのは読者の内面にある「暴力」「悪」「醜さ」だった(と僕は思う)。
 もともと意識高い女であるスーザンは、かつてバイトをしながら小説家を目指すような元夫との切り詰めた生活に耐えられず、彼を下に見て裏切ってきたのだ。その彼が20年間夢を諦めずについにこんなすごい小説を書いたのだ。やっぱり私の元夫ってすごい!と見直したのだろうか。急遽、彼にメールして再会の約束をするのだ。当日、彼の好みのドレスに身を包みレストランのテーブルで彼の登場を今か今かと待つスーザン。ところが、いつまでたっても彼は現れず、ついにレストランの閉店時間がきてしまう。待ち人のブルーの瞳に苦い悲しがみが映されて映画が終わる。
 結局トニーは過去の回想シーンにのみ登場して現代のタイムラインではラストまで登場しなかった。この結末の解釈は見る側に大きくゆだねられていて、これは元夫のリベンジだなどといろいろ言われているが、僕は個人的に作品の謎解きに興味がないのでもはや真意はどうでもいい。ただ最後までトニーが姿を現さなかったことがこの作品の深みを決定づけたと強く感じている。